10年前の3.11の日。
たまたま、休日でテレビを観ていたら画面が切り替り、街に津波が押し寄せてくる映像でした。
リモコンに手が当たり何かの映画のチャンネルが変わってしまったのかな?と思いチャンネルを回しました。
どのチャンネルを回しても同じ映像が流れ、状況を飲み込んだ後の衝撃と震えが止まらなかったことは、今でも昨日のことののように覚えています。
テレビでみるとたくさんのボランティアの皆さんが駆けつけ支援されているのを見て、駆けつけたいのに行けない中もんもんと考えていました。
自分には何ができるのか、いや、何もできないかもしれない。けど、行がなければならないと思い3年後に仕事の休みを利用して福島へ…。
3年もの月日がまるで止まったかの様な状況でした。
テレビでみた、漁港に船が乗り上げたままの状態。津波に飲み込まれ削れた土地の上に残されたままの家…。
放射能で、近寄れない地域もありましたが、入れる地域のギリギリまで行きました。
どこに行くあてもないまま…
ある日曜日、真新しい教会を見つけました。ちょうど礼拝をされている中でした。礼拝が終わり、牧師さんや、信者さんにお話しを聞くことができました。
東電近くに教会があったが津波で流された事。まだ見つかっていない人がいること。住む家もなく仮設で住んでいる事。防護服を着て祈りを捧げていた日々。3年たった時ではありましたが、涙しながらも昨日の事のように。
震災の傷も癒えない中、突然声をかけさせてもらい、快く迎えてくださり本当に感謝しています。
帰る際に、
「私たちは多くのものを失くしました。それでも前を向いて生きていきます。」と言われた言葉が今でも胸に残っています。
復興に向けて必死で生きてこられたその歩みは、確実に前を向いて歩かれた事と思います。
あの日から10年が経ちます。